趣味

2021年9月21日 (火)

紙の辞書を使って

 最近では Google翻訳という便利なツールがあり、ヨーロッパの言語間の翻訳はなかなか正確に翻訳する。だから、現在では小生も英語からフランス語やドイツ語へ訳すときにはそのツールを用いている。だか、それが正しい翻訳になるかどうかの確認は、今でも紙の辞書を多用して自分の力の許す限り実行している。
 10年以上前にはこうは行かなかった。とあるイタリア語の曲 ‘STORIE DI TUTTI I GIORNI’ が気に入って内容を知りたいと思ったときには、イタリア語の入門書と辞書を買って、英語やフランス語の文法を頼りに翻訳してみた。ただ、イタリア語と日本語ではあまりにも違うので、自ら伊文英訳してみた。
 イタリア語の storie は storia (女性名詞) の複数形であり、di は前置詞、tutti は形容詞 tutto (男性形) の複数形、giorni は giorno (「日」<男性名詞>)の複数形である。
 ほとんどのヨーロッパ語では、名詞には「数」(単数・複数)の他に「性」(男性・中性・女性」)の区別がある。フランス語やイタリア語の場合には「男性」・「女性」の区別だけであり、ドイツ語やロシア語の場合には、「男性」・「中性」・「女性」の区別がある。因みに、古代ギリシア語やラテン語の場合にも、名詞に「男性」・「中性」・「女性」の区別がある。
  冒頭の部分など少しばかり原文(冗談)と英語への拙訳(下段)を紹介すると、


Storie di tutti i giorni
Stories of all the days


vecchi discorsi sempre da fare
old tales always being told


storie ferme sulle panchine
stories, sitting fixed on the benches


in attesa di un lieto fine
waiting for a glad ending


storie di noi brava gente
stories of our respectable people


che fa fatica, s'innamora con niente,
who, with fatigue, fall in love with trifling people


vita di sempre, ma in mente grandi idee.
and yet, living life that has great ideas in the mind.
................................


Storie come anelli di fumo
Stories, like circles of smoke,


in un posto lontano, senza nessuno
which are placed far way, without anybody


solo una notte che non finisce mai.
there's only a night that never ends.


 1980年代の曲であり、You Tube に Riccardo Fogli が歌っているものがアップされている。レイモン・ルフェーブル (Raymond Lefèvre) が彼自身のオーケストラのために編曲した曲もあり、こちらも素晴らしい曲である。
 ルフェーブルの曲は、弦楽群が葬送曲のような荘重なメロディーを奏でて始まり、弦楽の演奏が30秒ほど続いた後、一転して同じメロディーラインをロック調に数分間演奏している。低音部もコントラバスからエレキベースに切り替えられているようであり、ドラムの「ドカン・ドカン」という音と、成り行き任せの (いいかげんな) 生き方を象徴するかのようなトランペットの背後では、弦楽群が少し悲しいメロディーを基調を崩さず、真面目に奏でている。
 まさしく、これぞ人生 (C'est la vie) である。

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2020年12月24日 (木)

この音

  塾生たちが休憩時間中にスマホで聴いている音楽は、確かに音質はクリアーだが、それだけのものである。やはりある程度の大きさがある木製のスピーカーを通してアコースティックな音を聴くのが音楽の醍醐味である。
  当塾には、英語のリスニング問題用にそこそこに大きなスピーカーが教室の両端に設置してある。そこに中古のCDラジカセをアンプ代わりに経由させ、デスクトップパソコンから音を流す仕組みになっている。最近まで業務用のメインPCとして使っていたパソコンに Creativek Labs の Sound Blaster Live 5.1 というサウンドボードを取り付けて、そこへ Linux のサーバーOSを移植して、さらにそこへは Yamaha の XG YMF724F-V PCI というサウンドカードを搭載した別のパソコンからスピーカー・ケーブル接続で音を送り込む仕組みになっている。(つまりは、デスクトップPC → サーバーPC → アンプ → スピーカーという順番に音声信号を送るのである。)
  この設定にしてから、ノイズの少ない重低音のサウンドをナチュラルな木製スピーカーを経由して聴くことができるようになった。この音こそ、小生が求めていた音である。もちろん、そのシステムを使って業務用にBGMを流したら、著作権の侵害だとして JASRAC という利権団体に多額のお金を徴収されることになる。だから、小生は日々の塾が終わってから遅い夕食をとりながらこんな曲を聴いている。

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2020年1月30日 (木)

Brandenburg Concerto No. 5

 

I like this arrangement of J.S. Bach's music. Original one is a little bit tedious.

 

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2019年11月18日 (月)

Mélodie D'automne

 

Raymond Lefèvre - Mélodie D'automne (J.M. Lefèvre)

C'est l'une de mes musiques préférées.

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2018年7月10日 (火)

多ヶ国語の学習(その2) --- 再掲載

 前回書いたように、‘STORIE DI TUTTI I GIORNI ’の伊文英訳を書いてみる。
 イタリア語の storie は storia (女性名詞) の複数形であり、di は前置詞、tutti は形容詞 tutto (男性形) の複数形、giorni は giorno (「日」<男性名詞>)の複数形である。
 ほとんどのヨーロッパ語では、名詞には「数」(単数・複数)の他に「性」(男性・中性・女性」)の区別がある。フランス語やイタリア語の場合には「男性」・「女性」の区別だけであり、ドイツ語やロシア語の場合には、「男性」・「中性」・「女性」の区別がある。因みに、古代ギリシア語やラテン語の場合にも、名詞に「男性」・「中性」・「女性」の区別がある。


Storie di tutti i giorni
Stories of all the days


vecchi discorsi sempre da fare
old tales always being told


storie ferme sulle panchine
stories, sitting fixed on the benches


in attesa di un lieto fine
waiting for a glad ending


storie di noi brava gente
stories of our respectable people


che fa fatica, s'innamora con niente,
who, with fatigue, fall in love with trifling people


vita di sempre, ma in mente grandi idee.
and yet, living life that has great ideas in the mind.
................................


Storie come anelli di fumo
Stories, like circles of smoke,


in un posto lontano, senza nessuno
which are placed far way, without anybody


solo una notte che non finisce mai.
there's only a night that never ends.


 上段の青色の文字がイタリア語の原詩、下段の黒色の文字が小生による英語訳である。
 歌詞を知ったのは数年前であり、You TubeでRiccardo Fogliが歌っているものを発見したのは更に後になる。実はその遥か以前から、小生は、レイモン・ルフェーブル (Raymond Lefèvre) が彼自身のオーケストラのために編曲した曲を聴いていた。<それにしても、You tube 音質悪いな! >
 ルフェーブルの曲は、弦楽群が葬送曲のような荘重なメロディーを奏でて始まり、弦楽の演奏が30秒ほど続いた後、一転して同じメロディーラインをロック調に数分間演奏している。低音部もコントラバスからエレキベースに切り替えられているようであり、ドラムの「ドカン・ドカン」という音と、成り行き任せの (いいかげんな) 生き方を象徴するかのようなトランペットの背後では、弦楽群が少し悲しいメロディーを基調を崩さず、真面目に奏でている。
 まさしく、これぞ人生 (C'est la vie) である。

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多ヶ国語の学習(その1) --- 再掲載

 最近は中国語を第2外国語として学習する学生も多いようであるが、小生が学生の頃は、第2外国語といえばドイツ語かフランス語であった。
 小生の場合にはドイツ語がそうであったが、文法理解の手掛かりは英語の文法であった。周知のとおり、英語の場合には動詞の人称変化は「3単現のs」とbe動詞だけであり、格変化は人称代名詞でけである。だが、ドイツ語の場合には非常に多くの規則的な変化が存在し、それゆえ、(逆説的になるが) 初級者でも文法を手掛かりにして、或.る程度文章を読み進めることが可能である。
 この複雑ではあるが規則的な変化に挫折しないで学習を進めることができれば、次のヨーロッパ語の学習も可能である。小生の場合には、それはロシア語であった。ヨーロッパ語をいくつか学習してゆく中で、それらの文法的な類似性のみならず、言葉の近似性をも実感させられた。そして、それは小生の英語理解に深みを与えたように思われる。

 ところで、小生には物事にのめり込む傾向があり、パソコンもパーツを集めて自作から修理までを行い、シャンソン (chanson) の歌詞 (paroles) に凝ったときには自分のwebsiteに「シャンソンの部屋」を作成した。カンツォーネ (canzone) を聴いたときにはその響きに圧倒され、すぐにでもイタリア語を勉強したい思いに駆られた。
 canzoneといえば、イタリアでは地中海沿いのフランス国境に近いサンレモ (Sanremo) という町で毎年音楽祭 (Festival della canzone italiana) が行われている。1982年の優勝曲‘Storie di tutti i giorni’は、小生の気に入っている曲の一つである。英語とフランス語の文法をたよりに、イタリア語の辞書と入門書を買って曲の全訳を行った少し後で、You TubeにRiccardo Fogli自身が歌っているものがUPされているのを発見した。
 次回のブログでこの曲の一部を伊文英訳してみる。(著作権の関係で、全文掲載はできない。) なお、小生のwebsiteに日本語の部分訳が掲載してある。

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2011年10月10日 (月)

癒しの音楽

 今日は祝日ではあるが、新規生の体験学習や定期テスト・英検対策補習のために塾を休めなかった。少し疲れたので、癒しの曲が聴きたい。
 「孤独の牧人」(The Lonely Shepherd) という曲が You Tube に UP されている。こちらのサイトの運営者が UP したものである。
 UPした人のコメントによると、
Composer: James Last, his original performer was the most famous Panflute on human history: George Zanfir. Danielle Licari records The Lonely Shepherd in 1982.
作曲者: ジェイムス・ラスト その元もとの演奏者は、人類史上最も有名なパンフルート [ 奏者] ジョージ・ザンフィルであった。 ダニエル・リカーリは、1982年に 「孤独の牧人」 を録音している。


 ダニエル・リカーリ
のヴォーカリーズによる曲はこちら
 ジョージ・ザムフィルのパンフルートによる曲はこちらである。
 なお、ダニエル・リカーリによる Greensleeves のヴォーカリーズも素晴らしい癒しのである。

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2011年8月 1日 (月)

演奏スタイルも様々

 塾業の面白いところは、特に個人経営塾の場合などには、形式に制約されない様々なスタイルが許されるところである。
 ところで、様々なスタイルがある代表的なものは、音楽である。ちなみに、YouTube でクラシック音楽などを視聴していたら、バッハのオルガン曲の対照的なオーケストレーションに出会った。

 まずはこちら、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 (Royal Philharmonic Orchestra) による演奏である。このオーケストラは、「イギリスの国家的オーケストラ」ともいわれる (referred to as "Britain's national orchestra" <Wikipedia>) ようである。この演奏でも、その名に恥じず正統派の格調高いアレンジメントを行っている。このビデオに対しては、「YouTube にしては大変稀な高品質のビデオだ」、というコメントがなされている。

 次はこちらレイモン・ルフェーブルによる編曲と自身のオーケストラによる演奏である。ドラムでリズムを刻んでポピュラー・ミュージック的な演奏をしている。経費の関係であろうが、低音の弦楽器の数が少なく、(YouTubeを高品質で視聴しても) ビデオの品質もやや悪く、上記の演奏と比較するともの足りなさを感じる。だが、原曲の雰囲気を残すバランスのとれた演奏である。

 圧巻はこの演奏である。転調の前と後では大きく演奏が異なるが、演奏後の惜しみない拍手は、聴衆がこの演奏を好んでいることを示している。

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2010年6月17日 (木)

Yesterday When I Was Young

 日本の英語教育にはつくづく疑問を感じる。とくに受験英語には!  英語を受験参考書なとで黙々と勉強するだけでは、実践的な英語力は向上しない。やはり、聞き取って・読んで・書いて・喋らなければダメである。死んだ英語をではなく、生きた英語を身につけねば意味はない。
 生きた英語の勉強方の一つに、英語の歌を真似して歌う方法がある。聴き
(聞き) 取りにも、発音練習にも効果抜群である。暗記して歌えば、確実に語学力を向上させることができる。もちろん、予め歌詞はきちんと (意味的にも文法的にも) 理解しておく必要がある。
 実例として一曲紹介しよう。もとはシャンソンの
Hier Encore を英語で歌ったものが You Tube に幾つか Up されていて、小生はそのうちの一つをとても気に入ったので、ここに (その一部を) 紹介する。歌詞はこちらのサイトに掲載されており、歌はこちらの他にいくつかUPされている。

Yesterday when I was young
The taste of life was sweet as rain upon my tongue
I teased at life as if it were a foolish game
The way the evening breeze may tease a candle flame
過ぎ去った日、オレが若かったときには
人生の味は雨を舐めるように甘かった
オレは人生をバカなゲームであるかのように弄んだ
夕べの風が蝋燭の炎を弄ぶようなやり方で

The thousand dreams I dreamed, the splendid things I planned
I always built, alas, on weak and shifting sand
I lived by night and shunned the naked light of day
And only now I see how the years ran away
夢見た千の夢を、計画した素晴らしい事を
ああ、いつもオレは脆く崩れやすい砂の上に築いたのだ
オレは夜に生きて昼間のあからさまな光を嫌った
そして今では、どれほどの年月が過ぎ去ったかを知るのみだ


 少し文法的な説明をしてみると、as if it were は「仮定法過去」(past subjunctive) と呼ばれるもので、その時制での (事実に反する) 仮定を表している。否、むしろ、(ドイツ語のように) 非現実話法の接続法と考えたほうがよいかも知れない。the way ~ は、「~のように」という意味になる。
 The thousand dreams と the splendid things
  built の目的語であるが、倒置されている。それぞれ直後の修飾部 (関係代名詞 that が省略されていると考えてもよい) によって意味を補足されている。alas は感嘆詞で、「ああ」という嘆きの声である。

 rain upon my tongue
 が何故 sweet なのかというと、後半部で歌われる the bitter taste of tears upon my tongue と比較されるからである。なお、フランス語の Hier Encore も大体こんな意味の歌である。フランス語のHier Encore については、以前のブログに (カーペンターズの Yesterday Once More と対比させて) 書いておいた。

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2009年8月22日 (土)

多ヶ国語の学習(その2)

 前回書いたように、‘STORIE DI TUTTI I GIORNI ’の伊文英訳を書いてみる。
 イタリア語の storie は storia (女性名詞) の複数形であり、di は前置詞、tutti は形容詞 tutto (男性形) の複数形、giorni は giorno (「日」<男性名詞>)の複数形である。
 ほとんどのヨーロッパ語では、名詞には「数」(単数・複数)の他に「性」(男性・中性・女性」)の区別がある。フランス語やイタリア語の場合には「男性」・「女性」の区別だけであり、ドイツ語やロシア語の場合には、「男性」・「中性」・「女性」の区別がある。因みに、古代ギリシア語やラテン語の場合にも、名詞に「男性」・「中性」・「女性」の区別がある。


Storie di tutti i giorni
Stories of all the days


vecchi discorsi sempre da fare
old tales always being told


storie ferme sulle panchine
stories, sitting fixed on the benches


in attesa di un lieto fine
waiting for a glad ending


storie di noi brava gente
stories of our respectable people


che fa fatica, s'innamora con niente,
who, with fatigue, fall in love with trifling people


vita di sempre, ma in mente grandi idee.
and yet, living life that has great ideas in the mind.
................................


Storie come anelli di fumo
Stories, like circles of smoke,


in un posto lontano, senza nessuno
which are placed far way, without anybody


solo una notte che non finisce mai.
there's only a night that never ends.


 上段の青色の文字がイタリア語の原詩、下段の黒色の文字が小生による英語訳である。
 歌詞を知ったのは数年前であり、You TubeでRiccardo Fogliが歌っているものを発見したのは更に後になる。実はその遥か以前から、小生は、レイモン・ルフェーブル (Raymond Lefèvre) が彼自身のオーケストラのために編曲した曲を聴いていた。<それにしても、You tube 音質悪いな! >
 ルフェーブルの曲は、弦楽群が葬送曲のような荘重なメロディーを奏でて始まり、弦楽の演奏が30秒ほど続いた後、一転して同じメロディーラインをロック調に数分間演奏している。低音部もコントラバスからエレキベースに切り替えられているようであり、ドラムの「ドカン・ドカン」という音と、成り行き任せの (いいかげんな) 生き方を象徴するかのようなトランペットの背後では、弦楽群が少し悲しいメロディーを基調を崩さず、真面目に奏でている。
 まさしく、これぞ人生 (C'est la vie) である。

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