教育

2024年2月15日 (木)

公立高校の今年の入試倍率の特徴

 埼玉県の公立高校の志願先変更期間後の最終的な倍率が、今日決定する。
 今年の特徴として、複数の不人気校で大きく倍率が低下してことと、商業科の倍率が上昇したことが挙げられる。

 ここ数年の急激な生活物価の上昇が保護者の意識に変化をもたらしているのが、商業科への志願者が増えた原因であろう。資格取得と就職に有利なことが、可処分所得の減少に悩む保護者たちの意識に大きな変化をもたらしているのだと考えられる。そうであれば、商業科以外の職業高校、なかでも人気の低い工業科などにも、経営方針をアップ トゥ デイトなものへ転換することで来年からの志願者増大のチャンスがあると考えられよう。(実際、今年倍率が急上昇した浦和商業高校の志願者の一部は、昨日大宮工業高校へ志願先変更したことがデータから読み取れる。
 また、子どもを大学へ進学させる場合にも、いわゆるFラン大学へ進学させる価値について疑問をもつ保護者が増えているのかも知れない。不人気高校の倍率がさらに低下したように。そうであるなら、今後いわゆるFラン大学の一部は、18歳人口の減少にともなって本格的な経営危機を迎えることになろう。

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2023年5月20日 (土)

Largest Problem in Japanese English Education

Chat GPT に What is the largest problem on Japanese English education? という問いを投げかけた。すると、次のような返答が帰って来た。文法的な説明を加えながら、返答の内容について解説してみる。

The largest problem in Japanese English education is the lack of focus on practical communication skills. Traditional teaching methods in Japan often prioritize grammar and reading comprehension, leading to limited speaking and listening abilities among students. Additionally, there is a shortage of opportunities for immersive language practice and interaction with native English speakers, hindering the development of fluency and confidence.

lack of focus on practical communication skills
と言う箇所は、「実践的なコミュニケーションの技量へ焦点を当てることの欠如」と訳せよう。
traditional teaching method
というのは「伝統的な教育方法」のことである。
prioritize grammer and reading comprehension
というのは「文法と読解の理解を優先させる」と訳せよう。
leading to limited speaking and listening abilities among students
という箇所は分詞構文と呼ばれる表現法であるが、カンマの前の部分と同格の文と考えてよく、and を使って繋ぐよりも洗練された表現で文を閉じることができる。「生徒間の限定されたスピーキングとリスニングの能力へと導く」と直訳できるが、「生徒たちが互いに話したり聴いたりする能力を制限するように導く」と訳したほうがよいであろう。
additionally というのは接続詞的に用いられる副詞で、「加えて」という意味になる。
a shortage of opportunities for immersive language practice and interaction
という部分で理解が難しいのは immersive という単語であるが、これは total immersion という教育法を念頭に置いていると考えられる。total immersion には「没入法」という訳もあり、それは日常生活の中でその言語を使って習得する方法のことである。この部分を全訳すれば、「日常生活の中で言語を練習したり相互にやり取りをしたりする機会の不足」と訳せよう。
hindering the development of fluency and confidence
という箇所も分詞構文で、「滑らかさと自信の発展を妨げている」と訳せよう。

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2022年10月 1日 (土)

定期テストでの順位付けの廃止を

  先日、ある塾生から質問を受けた。数学のことで質問があるというから、問題の解法か何かについての質問だと思ったら、クラス分けとテストの問題についての質問だという。
  その学校では習熟度 (学力) によって数学を2つのコースに分けているが、テスト問題は同一で、基礎学習を重視するコースでは教えられていない問題が定期テストでは出題されるということである。しかも、その同一のテストによって生徒が順位付けされるというのである。
  学年順位については、かつての「ゆとり教育」の中で、子どもたちの競争心を育てるほとんど唯一の手段として用いられてきた経緯がある。少なくとも、塾へお子さんを通わせる親御さんの多くは、その順位を非常に重視していた。(脱ゆとり教育の今は、学習内容自体が再び難しくなり、英語に至っては小学校の段階からそれなりに難易度の高い教科書を使っていることなどもあり、しっかりとした学習習慣がなければ結果に繋がらないことはほとんどの親御さんが理解しているように思える。) だが、その学年順位なるものの算出が本当に必要なのであろうか?

  一つのテストによる順位付けでは、社会科や国語や外国語 (英語) などの本来は紙のテストだけでは評価できない科目への評価は不可能である。また、教えられていることのレベルが違うのに同一の問題で順位付けするというのは、憲法が明示している「能力に応じて、ひとしく教育をうける」「権利」を侵害しているとも言えよう。なぜならば、テストなどによる学習結果の評価も教育の一環なのであるから。
  定期テストによる単純な順位付けは、学力に特化した子どもを育てることに対してもマイナスの作用を及ぼし得る。数学や理科の場合には、学年を先取りした学習というのも、子どもたちの学的意欲を向上させることに役立つ。実際、平方根の話をするときに、2乗して -1 になる数、すなわち想像上の数について話をすると、多くの塾生たちは目を輝かせるのである。過去には、地元の中学校に通っていながら、独学で高校の数学や化学を勉強している子もいた。このような興味を育てるためには、同一問題での一律の順位付けは害悪に過ぎない。

  10年ひと昔と言うが、何十年たっても順位付けなどに拘る教育を続けていたら、日本は先進的な世界からどんどん落後することになろう。順位付けなどして満足しているとしたら、学習の指導者としては全くおバカである。せめてもテストでの学年順位を有効に使いたいなら、順位を上げた努力に対して子どもたちを誉めてあげることである。間違ってもそれを叱責の材料に使うべきではないし、また学年順位なるものを絶対視するべきではない。


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2022年6月 7日 (火)

高すぎる北辰テスト

埼玉県で中学生、とくに中3生が受験する北辰テストは、金額が高過ぎである。各学年とも1回の受験料が税込み4,730円である。電気やガス、生活必需品の値上げラッシュが続く中で、子どもの1回の模擬試験の代金が5,000円近くもかかるのは、多くの家庭には痛い出費になる。
埼玉県の教育委員会は北辰テストのこの独占価格に対して是正を勧告すべきである。

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2020年10月28日 (水)

English reading of Japanese students (re-post)

  Why do Japanese students read English textbooks like Buddhist text-reading (in Japanese style). I think the main cause for that is in Japanese educational system.
  English is, of course, a language just as Japanese or Chinese. So if we don't become able to either speak, write or read (understand) English, it can be pointed out that our English education has no meaning.
  Nevertheless, our school-teaching system has been continuing almost one-way old (like worn-out clothes) style of teaching.
In Japan, students do not learn English for practical using (such as booking airline tickets, saving money in an account, or making friends with foreigners) but study English for getting more points in their examinations.
  Besides, most examinations do not require students to speak or read English. Almost all that they have to do is studying their textbooks to write down answers in the examination papers, and it must be tedious work.

  For the reasons above, I do make a conclusion, Japanese students read English like Buddhist text-reading.

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2020年10月 9日 (金)

情けない中学校の教育

教員は大量の宿題を課し、形式的に合格などの評価を記して、生徒たちはゲームや You Tube の時間を確保するためにやっつけ仕事で課題を終わらせる。真面目にやって低い評価をもらう子もいれば、問題も読まずに解答を丸写しして高い評価をもらう子もいる。
本当に情けないが、これこそが今の中学校の教育である。

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2020年8月26日 (水)

形骸化する学校教育

課題を提出して終りなら、学習内容を理解していなくても良いことになる。理解することよりも、上手に書いて提出することが優先されてしまうからである。理解しなくても良いことになれば、理解するための努力は必要なくなり、それがまた学力の低下をもたらすという悪循環に繋がる。
これこそ、形骸化された教育の代表例ともいうべきものであり、そこから子どもたちを脱却させるのも塾の重要な役割である。

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2019年10月 7日 (月)

無意味な課題

脱ゆとり以後、学校の課題がどんどん増えて、中学生たちはそれに振り回されて、自ら計画して勉強する時間が無くなっている。このような機械的な一律の課題は無意味である。子どもたちの自主性も奪っている。
実際、学校の課題を無視して提出せずに、自らのペースで学習した者が、その学校の前回のテストの3科 (英・数・国) では学年3位に入っている。学校の課題を提出しないことを評価することはできないが、自ら考えて学習したことは評価できる。

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2019年7月14日 (日)

枝葉をつついて点数化する教育

かつての塾生が大学受験のために帰ってきて、今年も大学受験を指導することになった。
受験には英語が必須になるのだが、それにしても気になるのは英語問題の出題傾向である。4択の中から正解を選ばせて、avoid や give up の後で不定詞を選ぶと x になるような問題が、いまだに彼方此方の大学で出題されている。

そんなように枝葉をつついて点数化して、何の意味があろうか? そんなことだから日本は英語後進国なのである。入試の制度上無理もあろうが、英語で文を書かせたり、英文を日本語訳させたりすれば実力はすぐに分かる。英語の実用力を問うような試験を実施できないのなら、日本の大学生の英語のレベルは上がらないであろう。

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2019年3月22日 (金)

学校の課題の形骸化

中学校の課題の形骸化が著しい。ただ単に解答を写して提出するだけの子どもが、大半のようである。
学力差も科目の得手不得手も考慮することなしに、一律に大量の宿題を与えれば、そうなることは目に見えている。にもかかわらず、形式的に確認印を押してもらえれば、それで子どもたちは評価をしてもらえるのだから、課題の形骸化にますます拍車が掛かる。本当に嘆かわしい現状である。

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