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2011年6月30日 (木)

マキャベリズムについて

 「マキャベリズム」という政治用語がある。高等学校の倫理や現代社会の思想分野でも学習する考え方であるが、これはイタリアの政治思想化マキャベリ (Niccolò Machiavelli 1469~1527) の名に由来するものである。
 マキャベリズムとは「目的のためには手段を選ばない」という方法論と定義されているようである。それゆえ、倫理的・道義的な問題がこの方法論には付きまとうことになる。よって、純粋な青年時代にはこの考え方を嫌う者が多い。
 もちろん、小生も若い頃には「マキャベリズム」は大嫌いであった。しかし、年を経るに従って物事の別の側面も見えてきた。例えば、首相が「退陣」という発言を翻しても、あるいは自民党の議員を「一本釣り」しても、それは問題になることではあるまい。一部の議員たちは首相の道義的責任を繰り返し述べているが、それが何の問題になるのであろうか?  震災と原発事故の問題に適切に対処する上で、マキャベリズムが有効であるなら、どんどんその方法を使うべきである。巧くゆくなら、内閣を改造して公明党やみんなの党からでも複数名の閣僚を任命すればよいのである。
 大義名分を重んじて被災民や国民を無視するのと、それとも国民を重視して大義名分を軽んずるのと、どちらが悪しきことであろうか?  結論は明らかである。この視点に立てば、「ペテン師」などという首相への非難は成り立たないことになる。

 尤も、マキャベリズムが正当化されるのは、国民の利害に関連する高度に政治的な問題に限定されよう。私的利害のためにこの考え方を利用するのは、あってはならないことである。何処かの元社長のように世間の非難から逃れるために重病を偽装したり (入院していたとされている期間にローン完済の手続きがなされていたとのこと)、最近収監されたIT企業の元社長のように嘘で固めた経営をしたり、学習塾で実績や講師の学歴を (東大などと) 偽ったりすることは、―― これこそまさにペテン師であるので ―― 決して許されまい。

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コメント

どうしてこれほど次元の低い、中身のない権力争いになってしまったのか。
たとえば、菅さんに代わって新しい方が総理大臣になったら、どういうことを国民にアッピールするのか。日本の政府は何をするのか。
大連立は手段であって、その目的はまた別であります。その話なしでは、国民は政治にはあまり興味はありません。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2011年6月30日 (木) 18時41分

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