3月11日の午後
3月11日の午後、小生は「京成スカイライナー」の中で地震に遭遇した。電車はすぐに停車したが、左側は崖のように段差がある場所 (江戸川の手前) であった。電車は崖側に傾きながら激しく揺れ、転落するのではないかと感ぜられた。暫くすると今度は縦揺れがあり、その後電車は少しバックして停車し直し、ストップした。
最寄駅まで線路を歩き、駅前と交番を往復している途中でN氏 (同じ車両に乗り合わせていた初老の紳士) と再会した。その後は動いていたバスに乗って二人で鶯谷まで行き、そこから上野を目指した。既に夜の帳は降りていて、多くの人が上野からこちらの方へ向かって歩いていた。上野駅はシャッターが閉められ、何百人 (何千人?) もの人が「帰宅難民」として駅前に屯していた。
吹き荒ぶ風は冷たく、体は冷え、カプセルホテルもネットカフェも既に満員であった。ラーメン屋で夕食をとった後、その日2軒目の喫茶店で深夜まで過ごし、再度居場所を求めて彼方此方と歩き回った。そして、幸運にも快適な居場所に辿り着いた。「椿屋喫茶店 上野茶廊」という店であった。
その喫茶店は、広いスペースにアンティークな内装が施してあり、バロック系のBGMが流れ、嘗ての「滝沢」を思い起させる上品な振る舞いのウェイトレスさんがコーヒーやケーキを運んでいた。入口で暫く順番待ちをした後、N氏と小生はその店の2階のテーブルへ案内された。近くのテーブルには、同じ上尾市在住の初老夫婦が帰る術を失って座っていた。
その店の営業時間は朝の5時までであるが、店の方のお計らいで6時過ぎまでそこに居ることができた。道を挟んだ駅側では、寒風吹き荒ぶ中多くの人がそこに立ち竦んでいた。店の内側は天国、外側は辛い世界という状況であった。「帰宅難民」ですらあの辛さを味わった――外に立っている人たちは朝まで――のであるから、地震の被災者に至っては状況は想像を絶する地獄であったはずである。
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